演劇創造都市札幌プロジェクト 札幌の演劇人との座談会 vol.1

演劇創造都市札幌プロジェクトは、2020年12月29日に座談会を開催しました。感染症拡大の影響で、なかなか対面しての会議を開催するのが難しい状況ではありましたが、インターネットを介したリモートミーティング形式での座談会を行いました。

札幌で活動している様々な世代・タイプの異なる演劇人の肉声を聞かせてもらうこと、そしてプロジェクトのメンバーが感じていることを聞いてもらうことを主な目的として、第一回のゲストには、劇団木製ボイジャー14号から3名のメンバー、そしてイレブンナインから1名の演劇人をお招きして開催しました。今後もプロジェクトの取り組みの方向性を探る上で、こうした座談会を複数回開催し、様々な世代、タイプの演劇人の声を聞かせてもらいたいと考えています。

 

日時 12月29日(火) 16時~17時半
参加者 ゲスト
前田透・寺田彩乃・鎌塚慎平(以上劇団木製ボイジャー14号)、納谷真大(ELEVEN NINES)
プロジェクトメンバー
林亮一、蔵隆司、藤村智子、高堂理、右谷誠、平田修二、小島達子、斎藤歩

斎藤 お集まり頂き有難うございます。今日は、演劇創造都市札幌プロジェクトの活動を札幌の街の人に知ってもらうことと、札幌で演劇をやっている人たちがどんなことを考えているのか、様々な世代の演劇人の話を、プロジェクトのメンバーにも聞かせてもらおうという事で集まって頂きました。
今日は、木製ボイジャーの主催者で作・演出の前田透くん、鎌塚慎平くん、そしてボイジャーでずっと制作をやってる寺田彩乃さん。それと、イレブンナインの主催者である納谷真大さんにも来ていただきました。どうも皆さんありがとうございます。

ーここでプロジェクトのメンバーの紹介が行われ、座談会が始まりました。

斎藤 まず林さん。先日のプロジェクトの会議で、林さんからこのような座談会の提案があったのですが、こういうことを思いついた、そもそもの動機みたいなことを、お話しいただけますか。

 当初、札幌で100人の演劇に携わる人たちが食べていけるようにということでプロジェクトはスタートしたんですけれど、皆さんお偉い方ばっかりなので、現場がどうなってるかってことも知って共有した上で、創作者さんたちと一緒にやっていけるチャンスはないかなということが、思いついた最初の契機です。

斎藤 ありがとうございます。前田くん。いろいろ大変だったね、この秋は。

前田 いろいろご心配おかけしました。

斎藤 8名陽性が出ちゃったけど、その8名の皆さんはどうなさってますか。

前田 陽性が出た8名も、一番遅い人で今月(12月)の4日かな、もう家を出ていいよっていう許可を得ていて、もう職場にも復帰している状態ですね。

斎藤 それぞれ演劇活動も再開して

前田 そうです。みんな割と普通に過ごせている状況です。差別みたいなことも特に無いって聞いてます。

斎藤 ついこの間、シアターZOOとしてもヒアリングをさせていただいて。稽古場においてもかなり気を遣った感染症対策をしていたということが判りました。むしろ他の劇団よりも神経質なくらいやってましたね。人数が多かったんだけれども、それでも尚更っていうことで。隣にいる寺田さんがピリピリして、劇場でも発破かけてやってましたが、いかがでしたか。

寺田 今回出演者が16名いまして、シアターZOOではバックヤードも利用させていただいてたんですけど、待機場所とか確保する上で、歩さんにもご相談して、通路に距離を測ってバミリをして椅子を置くというような対策をしてみたんですけど。人数が多い故に、監視というか多少怒ったり叱ったりしなきゃいけない場面もあったんですけど、出来る限りのことは出来たんじゃないかなと思っています。

斎藤 ヒアリングしてなるほどなって思ったのが、16名の出演者のうち、8名は陰性だったんですよ。で、そのことで何か思い当たることある?って聞いたら、ある俳優が、物凄く徹底して手を洗っていた。手指消毒とか、うがいとか、他人との距離の確保を徹底していた俳優がいたと。で、やっぱりその俳優は陰性だった、ということがあったみたいで。ちょっとその話聞かせてくれる?

前田 (陽性が)出るとしたら全員出るんじゃないかなとは正直思っていたんですけど、検査の結果出たのが、半分陰性、半分陽性ということで。その一人の俳優にいたっては本当に徹底して、何かある度に手を洗い、うがいをずっとしてて。で、彼に至っては、公演が中止になった翌日に劇場のバラシをしていて、バラシ作業に参加していたメンバーは殆ど陽性になったんですけど、そいつだけは陰性だったんですよね。ていうことからも、やっぱりこまめな手指消毒の徹底ということを僕らはやっていたとは思いながらも、彼はまたちょっと違うレベルの意識があったんじゃないかなと。基本的に人に近づかない。打ち合わせするにしても、マスクしててもしてなくてもちゃんと距離をとって。本当に徹底してたなっていうことを思い出しました。人が近づくたびに、僕も寺田も「近い近い近い!」ってひっきりなしに言ってるような座組みだったんですけど、彼には言わなかった。

斎藤 納谷さんも一昨日若手公演が終わったばっかりでしたけど。それはどういう経緯で立ち上がったのかな?

納谷 いろんなものが中止になっていく中で、若者たちの演技の場というか、トライアルとしてアトリエで公演出来ないかっていうことで。やっぱり大人数だと密になったりとか、客演の方々を入れるのはアレなので、二人芝居を三つやりました。二人芝居ならば最小限の中で稽古と発表もできるってことで、最小のお客様を呼んで、最小の人数でお芝居をやるって形でやってみようと、小島達子が企画しまして、年内にやろうって話になりました。

斎藤 これって文化庁の継続支援の補助金を貰ってやったんだよね。

小島 もとは文化財団の再開支援事業のほうに申し込もうとしてたんですけど。それには該当しないと言われて、文化庁の方を申請しました。

斎藤 文化財団が用意してくれていた再開支援ですね。それを貰うことができたのは前田くんたちだよね。

高堂 減額にはならなかったですか?

寺田 応募数が多かったので、全件同じ割合で減額になりました。

高堂 そうですよね。音楽系がすごく多くて。総数が多くてそうなったみたいですね。

斎藤 文化財団があったり、札幌市もアートライブってのやったり、あともう一つ、市内の劇場公演に対して劇場費の半額を助成すると。前田くんたちも一応申請をして。なんとか皆さん、こういう中でもやってますね。夏に納谷さんは、かなり大人数の大きな公演をやりましたよね。あれ、ほんとに秋口ならできなかったんじゃないかなとか思ったりする?なんとかやり逃げた感じ?

納谷 そうですね。中止になったものも私はたくさんありますけど、やれたものもあって、タイミングが影響しているなあと。まあ、感染者数の推移を見ながら世の中の情勢も含めて、ほんとにそういうタイミングに左右されたというのが実感です。

斎藤 鎌塚くんは、この春から、わりと独特の活動をしているよね。そのことをちょっと聞かせてもらってもいいかな。

鎌塚 このコロナ禍で札幌シェアターというのを立ち上げました。春先にいろんな作品が中止になっていく中で、オンラインの中に劇場を作りたいなっていうコンセプトがあって。WEBで、こういうふうにzoomを繋いでセリフを喋ったりしてる様子をそのまま配信したりですとか、演劇としてオンラインでいろいろ活動してました。序盤は、こういう画面を切り取ってやってたんですけど、緊急事態宣言が明けた6月とかからは、野外に出て行って、公園から配信をしてみるとかいうようなこともやったりしてます。

斎藤 鎌塚くんがやってることには、ある種の可能性を感じたりもしていました。実際やってみて、反響とか手応え、感じることがあったら、ちょっと聞かせてもらえますか?

鎌塚 北海道新聞と朝日新聞と、NHK北海道で紹介していただいて。最初にやったのが4月25日なんですけど。ちょうど緊急事態宣言が出るちょっと前ぐらい、北海道だけの緊急事態宣言みたいな状況だった時に、一発目やったときは、YouTubeで無料配信してて、視聴数も、1000は超えてて。僕らの世代ってやっぱりこの状況で動ける自力がある人が少なかったからかもしれて。もちろん、「そんなの演劇じゃねえ」みたいな否定的な意見もありましたけど、賛否を呼ぶっていう意味では、かなり活発に動けたかなっていう印象はあります。お客さんも、普段僕ら世代の演劇を観に来てくれるような人以外にも、結構初めて見ましたっていう声もちらほらあったりして。

ただやっぱり、二極化する感じでした。「やっぱ舞台じゃないとね」っていう、物理的な劇場じゃないとね、っていう方向の意見の人もいれば、「演劇かどうかとかはさておき、これはこれで面白いから是非続けて欲しい」とか「やってみたい」とか「もっと見てみたい」っていう意見、完全にはっきり分かれてるような印象はあります。

 無料配信?

鎌塚 最初は無料でやって、3回に1回くらい有料にしてます。

 有料にしたときって、どれくらい視聴数あるの?

鎌塚 7月に一回有料配信をしていて、その時はイレブンナインの明さんとかも脚本と演出を担当してくださったんですけど。そのときで150とかかな、でもそのくらいですね。

斎藤 金額は?

鎌塚 金額は1500円です。で、10月にHTBのオンライン劇場っていう、テレビ局のスタジオから生配信させていただいたときは、100人ちょっとだったかな、それも。1500円で。

斎藤 あれはHTBさんが、HTBのスタジオとHTBの機材、あと生放送のプロフェッショナルなスタッフを提供してくれて、売上は折半。札幌座で僕が12月に配信した時は、東京とか道外の人がけっこう観てくれてて。ああいうことは本当助かると思った。生放送のプロたちが真剣にやってくれるんで、映像のクオリティー、音声のクオリティーなんかは、僕らがやるよりも全然やっぱり凄かったなあと思いました。鎌塚くんのやってたことってのも凄く可能性があるなあと僕は思ってましたし、今後のためにも頑張って欲しい。

斎藤 というわけで、コロナの最近の状況ってのを情報交換させていただいたんですけれども、本来そんな話じゃなく、プロジェクトとして皆さんにお話を伺いたい、またこっちの話も聞いていただきたいと思うので、その話に。

そもそもプロジェクトというのは、札幌で100人の食える演劇人を作り出そう、みたいな野望をもとに動いて、様々な事業を行い、演劇シーズンもその一つとしてやってるんですけど。

納谷さんから聞こうかな。イレブンナインは、始めて何年になりますか?

納谷 16年ですね。

斎藤 納谷は、そもそも富良野GROUPでして。まずは、そもそもどういうスタートだったの?

納谷 元々は、富良野塾のOBだけで立ち上げたのが、16年前です。富良野塾のOB8名と、あと今演劇工場の工場長をやっている太田と。あとスタッフ面も、全員が富良野塾のOBで作った劇団です。今から15年近く前に倉本先生と喧嘩をしまして、3年間富良野で活動をした後、その後僕だけが札幌に移って、富良野のOBたちとやってたという形が変わっていき、今に至ってます。

斎藤 富良野で活動していたときには、富良野での生き方、みたいなものがあって。例えば、農作業やってる人がいたりだとか。富良野で収入を得ながら、演劇をする。で、富良野塾の公演にも出るし、イレブンナインとしての活動もある、っていう形だったんだけど、札幌に来てからそれは大きく変わるよね。富良野で収入を得ていたものが、納谷は得られなくなるわけじゃないか。で、どうやってた?

納谷 僕は本当に運が良かったと思うんですけど、札幌に来て間もない頃に、文化財団さんから、北海道舞台塾の演出の担当を、延べで4年させてもらってるんです。それによって、札幌での演劇で生きていく基盤ができたと言うか。あとは僕は富良野塾の関係とか、いろんな所で映像の仕事とかもやらせてもらったり。劇団ひまわりさんの講師をやらせていただいたり、あと、北海道舞台塾のワークショップが当時、大量にあったんですよね、藤村さん。

藤村 そうね。

納谷 僕、年間60本ぐらい舞台塾のワークショップを道内各地でやらせてもらってたんで、それだけでもうかなりな…

斎藤 ほとんど文化財団に食わしてもらったんだな。

一同 (笑)

小島 最初はそうでしたよね。

納谷 最初僕、3~4年は、文化財団さんがなければ札幌に居れなかったですね。

藤村 納谷さんのワークショップがとってもね、上手だった。子供達とかね、お爺さん、お婆さんに教えるのとかも凄く上手だったんですね。だから繰り返しお呼びがかかるのね。

納谷 ありがとうございます。

斎藤 創作そのものでというよりは、その他の演劇の指導という仕事で生活していた部分が多いってことだね。ありがとうございます。ほんとに大まかな所なんですけれどもそんな納谷くんでした。で、木製ボイジャーについて聞こうと思うんですが、前田君、結成して何年になるか?

前田 結成したのが2014年なんで、今年で7年目になります。

斎藤 今劇団員は何人いますか?

寺田 13人ですね。休団してるメンバーとかも今ちょっといたりするんですけど。

斎藤 鎌塚くんとか寺田さんは旗揚げ当初から参加してる?

鎌塚 僕は旗揚げですけど、寺田は3年前くらい?

寺田 劇団のコンセプトってあるんですか?

前田 いろんなことをやりたいって思っていて、「劇場になりたい」っていうことを大きく掲げて。いろんなお芝居ができるように、色んなジャンルのことをできるようになりたいなと。

斎藤 木製ボイジャー14号を旗揚げした経緯のようなことを聞かせて?その前は「座・れら」にいたりとか、今の前田の活動とはちょっと毛色が違うところのお世話になってるようだけど。

前田 僕がボイジャーをつくったのは、大学を卒業してからなんですね。大学に入った時に最初に座・れらに入っていて。やっぱり年が上の方達ばっかりだったていうこともあり。でも札幌でやっていく中で、いろんな人を見て、20代前半くらいのとき。その時にすごく仲良かったのが、鎌塚もそうですし、今の劇団の俳優ですけど井上嵩之っていう男とか、ほとんど毎日飲んだくれて演劇の話ばかりしていて。今やってるものとはやっぱり違う、なんか自分たちで考えてるような演劇の作り方とか、演劇、劇団とか、若手のものを作って、新しい世代として作品を作り続けていきたいなーって思ったのが、結成の経緯ですね。始めた当初は、周りはみんな学生演劇出身の人たちばかりでした。今はそうでもない人たちがいますけど。

斎藤 前田はそろそろ30なんだよね。

前田 来年です。

斎藤 そして、ここにいらっしゃる寺田さんは、今、北海道教育大岩見沢校の学生さんなんですけれども、なんと就職が決まりました。

寺田 内定をいただきまして

斎藤 だからね、前田のところって今、活動の軸になる人間が就職をするとかいうことになりつつあって、今後どう存在し続けられるかっていう分岐点に来てるんじゃないかなと思って、期待もし、心配もしてる。鎌塚くんなんかは、もう就職してるのかな?

鎌塚 僕は、そうですね、えっと、2~3年前ぐらいから就職をしてます。

斎藤 わりと時間は自由になるの?

鎌塚 土日は基本休みなんですけど、平日は残業が多かったりするので。基本稽古には殆ど行けないですね。旗揚げの頃って僕もたまに演出やってたんですけど、最近はもう前田に全部やってもらってます。

斎藤 あと、この劇団はね、照明が山本雄飛っていう北大生だったんですけどね。北大生の頃は、全然、どんな日でも稽古場・劇場に来て、照明ぶら下げて喜んでたやつなんですけれども。それがやっぱり北大を出た後、就職したんです。前田自身は、今どうやって食ってる?

前田 僕自身はコールセンターに契約社員として雇われていて、でもシフトの融通とかすごく利かせてもらえるような状況にはなってるので、仕事とか、誰か何か手伝ってって言うときとかには結構休みを取れるような環境ではありますが、ギリギリなんとか生きていけるかなっていう感じです。

斎藤 近い将来の劇団の展望とか、方向性っていうのは、どういうふうに考えてる?

前田 やっぱりこの先、寺田も就職をするということで、働きながら演劇をやっている人は、大体が正社員っていう形になっているので、その中で、今までは年3回だったのが、去年から年2回くらいになって、今年はまあ事情もあって年1回になって。だんだんペースも減ってきていて。劇団単位で大きく動くっていうことが結構難しくはなってくるのかなとは思うんですよね。また、結婚とかっていう話になったら、それで変わってきたりする年齢だと思っているんで。本当に、活動のペースはすごく減っていくんじゃないかなと思ってますね。展望として、それでも長く続けていくためには、どうやって作品を作って行くべきなのか、ちょっと考えないといけないなって。丁度、寺田の就職が近い時期ぐらいから考え始めてきています。

斎藤 集団としてはそういう局面だよね。一方でさ、前田個人としては色々オファーもあったりして、客演もしたりしている。劇団の活動と、その一方で前田個人の演劇活動ってのは、またちょっと別じゃない。その辺は、どう考えてる?

前田 なんでしょう。劇団としてやりたいことと、多分個人として演劇を続けていきたいってことが、ちょっとやっぱり違うんだなとは、ぼくは思っていて。その方が、充実しているなって思ってるところがある。アマチュアの団体っていうところでちゃんと良いものを創っていきたいっていうことに関しては、すごく頑張りたいというか、努力し続けていきたい。アマチュアとしても、できることは、支えられることは、参加していたいっていうことを強く思いますね。アマチュアでありながら無理して年3回っていうペースをコンスタントにやって疲弊していくのであれば、この街に住んでいて、この街で働いていて、街の人に見せるっていうのってそういうやり方もあるのかなあと。多分その考えは、最初に所属してた座・れらの鈴木喜三夫さんとか、戸塚先生とかが言ってたのを受け継いでるのかもしれないなと思っています。

斎藤 イレブンナインも割と、去年から今年にかけて主力メンバーが変わってきたっていうようなこともあったりするよね。そもそも割とプロ意識みたいなことを持った集団なのかなって見ていたんだけど。その辺のことについて、例えば劇団員もその集団で食べさせる、みたいなことをちょっとは意識してるのかな?

納谷 そうですね、今、前田君がアマチュアっていうふうにおっしゃってたのとは、僕ら割と真逆で、実情としてはプロとしての集団として成立してないんですけど、イレブンナインを立ち上げた時からプロ集団であるということを大きく命題として持ってて。ただ、忸怩たる思いがあるのは、プロとしてはまだ経済的な部分で成立できてないというところで、いつももがいてるということです。

斎藤 みんなどうしてるのかな、今何人いるんだっけ。

納谷 えーと、10人くらいですね。申し訳ないと思うのは、僕なり小島なり、歳をある程度取ってる人間たちは、特に僕なんかは演劇に関わることで生きられてるんですけれども、昼間は働いて夜だけ稽古っていうことを、僕は基本的に許してないので、ウチの若者たちは昼間から稽古場に詰めて、僕らの公演の準備なり、そういう中での演劇活動・創作活動しているので、若者たちはびっくりするぐらい貧乏な暮らしをしてます。小島が今札幌で、ナレーションや映像の仕事を、今少しずつ頂いて、それを若者たちに振って彼らにある程度、それでもお小遣い程度だと思うんですけど、ギャラを支払ってはいるんですが。若者たちにはある意味我慢を強いてるというのが現状です。

斎藤 でね、このプロジェクトってのは、札幌演劇シーズンってものを主催して運営して、で、そういった人たちに少しでも収入が与えられるような状況になることを目指してプログラムされているようなんだよね。8日間、公演はしなければいけない。その代わり劇場費は負担しようと。そうすることで、人をちゃんと育てられたり。あと、舞台に立つってことは、最低でもこのぐらいの期間は、立ってお客さんの前に晒されることで生活をしていくっていう。仕事が生活のメインなんじゃなくて、演劇活動自体が生活のメインにあるような人材を、もっと増やせればいいんじゃないかっていうことで、こういう演劇シーズンってのを年2回やってるんじゃないかと思うんですけど。平田さん、当初の演劇シーズンを組み立てた時の願いみたいなものを、平田さんの口からちょっと聞かせていただけますか?

平田 今、お二人の劇団のことを聞いたんだけど、それは昔もそうで。そこをどうやって変えていくのかって、極めて難しいんだよね。だから当初は、今の形と演劇シーズンは違って、経営体があるところが、創造活動を交互にしていくってことで始めた。当時、経営体として存在してたのは、北海道演劇財団とコンカリーニョだったので、その二つの集団が演劇を作る。で、そこに集まってくる演劇人が何とか生活できるようにしていこうと。そのような形態が増えれば、二つ以外に増えれば、三つになり、四つになりっていうふうにしていこうというコンセプトだったんですよね。まあ、そこは色々あってそうじゃなくなって、途中から公募方式になって、それから今、斎藤君がやってるような、プログラムディレクター方式になっていって、これはこれで、うーんどうなっていくんだろうって、お二人の話聞いてて、思っています。そりゃあ日本でプロフェッショナルな演劇が出来ていくというのは、とっても困難な道ではあるんだけど。当初は、公益法人である演劇財団と、NPO法人であるコンカリーニョが。作品作ってたんだよね。その二つの集団が、演劇を創って、やっていくと。そこに集まってくる人を、まず食わせようと。それからそういう形態が3つ目4つ目というふうに出来て。というのが夢でした。

斎藤 いろんな経緯があったんですよね。前田君とは前話したことあるんだけど木製ボイジャー14号って全く演劇シーズンに出る気がないって話をしてたよね。そのへん聞かせてもらえる?

一同 (笑)

前田 そうですね、語弊が生じないように言いますと、やっぱり、社会人が多いなーっていうところが大きいですかね。そこに公演を8日間続けるっていうのが、僕たちの集団になると、ちょっと難しいんじゃないかなって。演劇シーズンなんて興味ねえよ!っていうような態度ではまったくないんですけど。僕達の団体って、シーズンがやっている、これからやろうとしていることとは、団体としてはちょっと多分趣旨が変わってきちゃうのかなと少し思うところがあるのかな。そういう意味で参加はそんなに僕は考えたことないなあ。

斎藤 例えば前田君より上の世代で、弦巻楽団とか、千年王國とか、ハムプロジェクトとか、わりと積極的に出ようとするんだけどね、清水企画の清水友陽、あいつが一切エントリーもしてこない。全く興味がない。ちょっと清水企画とは趣旨が違うって言うんだよね。それに近い感じなのかなってのはちょっと思うんだけど。寺田さんなんかはどう思う?木製ボイジャーも演劇シーズン出られるように目指せばいいじゃん、とか実は思ってない?

寺田 基本的に、前田とかも、所属してる俳優が特に出たいって言わないので。頑張ろうって言うこともなく、っていうのもありますし。作ってる作品とかの雰囲気ってのもありますし、単純にやっぱり一週間仕事を空けられるかって言うと、スタッフも俳優も共にちょっと厳しいなっていうのは普段の公演の時もあるので、積極的に出たいっていう話になったことがないですね。

斎藤 鎌塚君は?

鎌塚 実を言うと、昔一回、前田は出たいって言ったことがあるんですけど。その時、新人賞取った作品をやりたいねっていう風に言ってきた時とか。でも2016年の作品だから今やっても面白くなさそうだからやめよう、って僕が言っちゃって。

一同 (笑)

鎌塚 それ以来前田はシーズンに出ない方向に。

前田 鎌塚のせいだったんだ。

鎌塚 僕のせいでボイジャーのスタンスが固まったのかもしれません。まあでも今出るとしたら、やっぱり同じですよね。その俳優のスケジュールとか演出かのスケジュールって、ロングランに耐えうる地盤がないっていうところがやっぱり一番。まあ、やろうと思えば多分できるんだと思うんですけど、出られる客演を揃えるとか、前田君はお仕事けっこう融通利かせてくれるから出れるのかもしれないんですけど。ちょっとそこまでやる体力とモチベーションの問題なのかなっていう気はします。

斎藤 今のお話なんか聞いて高堂さん、新たに演劇シーズンの事務局長になられたり、プロジェクトに発足当初から関わっていらして、何かご感想あります?

高堂 各劇団と演劇シーズンとの距離感って本当全然違うんですよね。それぞれが。で、斎藤さんがプログラムディレクターになる前には、作品選考委員会にいたんで、林さんとか、最初は、平田さんとか、そういう人たちとやっていって、プレゼンを受けて、みたいな。こういう選び方ってどうなんだろう?って感じたこともありました。斎藤さんになってそういうのも無くなったんだろうけれども。僕はむしろ劇団と演劇シーズンの距離感じゃなくて、演劇シーズンと世の中の距離感っていうのは本当にまだまだだっていう感じがあって。そこをいじりたいと思ってやってるんだけど、そこは本当に大変で。こんだけやっても、なんだかまだ認知されてないっていうかな。ただこれ、まあ話がちょっと全然ずれちゃうんだけど、やっぱり一人必殺でファンを増やしていくしかないんですよね。で、一回来てくれると結構リピートするんだよね。だからなんか、そんなことを繰り返しているだけっていうかな、演劇らしいなあと思いながらいるんですけど。ただその、なんか理由があってシーズンに出れない、例えば今みたいにロングランできないとすると、例えば三日間公演を二つで割って、二つの劇団が三日間でやってもらうような仕組みとか、そういうのってやっぱあると思うし、そこはその劇団なりのその問題点を出してもらって改善していく余地は全然あると思うし。これからは斎藤さんの胸先三寸だから「こんなやり方もあるんじゃない?」っていう、「ここをちょっとこうやって直してみようか?」とか言ってくれれば、いろんなやり方は、これからは多分できていくんだと思います。2012年に始めたころと比べると、札幌市も随分言うことを聞いてくれるようになってきてると思うんですね。特に今回のコロナのこととのこととか結構我々がリードしてて、札幌市が後からついてくるみたいなこともあると思うので、ぜひ悩み事があったらみんなで共有してね。今日みたいな機会ってありそうで今まで全然なかったので、こういう話を直接聞けてすごく良かったですね。

斎藤 ありがとうございます。高堂さん仰った新しい枠組みというのは、サテライトプログラムっていうのを演劇シーズンで始めて、8日間に限定せずに、シーズンの期間にぶつけて、どんな短期間でも、ちょっとこれ面白そうだなとか、観光客がパンフレット取った時に、こんなものもあるんだって思えるようなものが、演劇シーズンの中にあるといいんじゃないかなと思って、サテライトプログラムってのを始めさせてもらっています。林さん。林さんも演劇シーズンの選定委員ってのをずっとやって来られて、今、前田くんとか納谷さんの話を聞いて、何か思うとこありますか?

 演劇の文化都市にしていきたいっていうその理想?野望?ということと、実際に演劇を作っている人達の日常のね、乖離がやっぱりあるなあと思いますね。演劇シーズンに出てみないかって、とある劇団を誘ったことも、実は何回もあるんですけど、やっぱり前田さん仰ってたように体力がないっていうことで、ジャンプできないっていうのは非常に多かったですね。すごく面白い芝居してるのに残念だなーっていうのは、そこをどうやっていくかだよね。

斎藤 会長の蔵さん。二つの、全くタイプの違う劇団の話聞いていかがですか。

 やっぱりこういう機会ね、なかなか今までなかったし。こういう現場の人たちとどうやってコミュニケーションしながらプロジェクトを発展させていくかという問題を考えるという意味では、ようやくそれが実現できたかなと思って。今、前田君の話も納谷さんの話も面白く聞いてたんです。ただね、前田さんは、アマチュアの路線を突き進むんだっていう話だった。納谷さんは、真逆だという話をしてましたよね。まさにその二つがあるんだろうとは思う。それぞれの道が、どっちがいいというわけではもちろんないわけだから、それはそれで、それぞれの道を歩んでもらえばいいと思うけども。僕もう76歳だけど、20代の頃から、どうやってプロの芸術家がこの日本で生きていけるのかなーってことを、ずーっと考えてきた人間なんですよ。行政とも付き合い、芸術財団とも付き合い。で今、個人で出来ることは何かなと思いながら平田さん達と、年寄りが集まって、ごちゃごちゃ考えてるわけだけど。まあ問題は本当にこの50年、60年変わってない。問題の在り処は変わってないし、課題は変わってないと思う。同時にその対策もほとんど僕は見えてると思ってるんですよ。プロの演劇人たちが活躍できるまちづくりは、できないことはない。その方法論はちゃんとあるんだ。早くそれがその現実の政策として出来てほしいと、ただ願うばかりですね。問題点もはっきりしてる。市民がサポートし、行政がサポートし、企業がサポートして、バランスよく応援体制を作れば、納谷さんも向かう方向に必ず行ける。札幌で演劇人が100人ぐらい食えないことは全然ない。3億円もあれば100人が1年間暮らしていけるんだから、一人300万あれば暮らせるでしょ?その基礎はできるはずなんだ。大したお金じゃないんですよね。いくらコロナだなんだ言ったって、そういう金を作れないわけじゃないし、芸術や文化にそういうお金を投入している全国の自治体、無いわけじゃない。いよいよ演劇大学だってこの4月できるわけですよ、兵庫県に。そういうことができる可能性があるし、道ははっきりしてるんだから、やっぱり現場の人達もそういう方向に向かって一緒に歩んでほしいなーってつくづく思う。アマチュアはアマチュアでいいですよ。だけどアマチュアは、好きな人が好きなことをやるだけであって、僕はそんなに支援はしなくていいと思う。その人たちが、やるべき方法を自分たちで作ればいい。でもプロは違う。構造的に、プロが生きるためには、入場料収入で出来っこなんかないんだから。芝居も音楽もみんなそうだけど。入場料収入では1/3稼げればいいところだ。あとの2/3は、企業とか行政がちゃんとサポートしなければ成り立たない。サポートしてもらうってことは恥ずかしいことでもないし、不当なことでもなんでもないわけで。正当な事なんだから。そういう道を50年も60年もやってるけど、まだまだ。何とかしてほしいですね。斎藤君、頑張って。

斎藤 俺?(笑)

 札幌に40代の俳優殆どいないという現状があって、それは本当寂しいですよね。下手したら、男性でも30超えてすぐ、お芝居辞めてしまう役者さんもいるので。こういう現状は非常に心細いので、やっぱりなんとかしなきゃならないってのはあるとは思います。

斎藤 まだまだですね。でも昔に比べたら、数名は増えてる。だって納谷がこうやって暮らしていけてるんだもん。いろんな人を騙しながら。

納谷 騙してはないです。支援されながらです。

斎藤 プロジェクトの発足当初からいらした右谷さん、どうですか、こういうお話聞いて。

右谷 最初、やっぱり札幌座とかね、札幌座の元のTPSとかの活動みたいなものがモデルになっていて、そういう集団が増えていけばいいなっていう、それがなんとなく核にあって。その時の成長戦略ってとにかく公演数を増やすっていうことが目的だったんだと思うんですよね。で、年間10日間ぐらいしか公演しない集団は、やっぱりそりゃ食えないので。100日ぐらいね、一年の1/3ぐらい芝居してるっていう、そういうことが、なかなか急には無理ですけども、そういうことが遠い未来の目標にあって、そこにどうやって近づけるのか、その一つが演劇シーズンだったと思うんです。だから今の話聞いてると、やっぱりベースにアマチュアがあると、まあ仕事との両立の中で、なかなかなっていかない。だからプロのトップでやってる、札幌でトップでやってる次の、そこに割り込んでね、次を狙うんだっていうところの機会がなかなか、そこどうやって育っていけるんだろうなっていうふうに聞いてました。ただね、やっぱり公演数を増やすっていうのは、やっぱり蔵さんのお話にもあるんだけれども、年間ちょっとしか働いてない人たちがそれで暮らしてゆけるわけがないので、公演数を絶対的に増やしていく作業が、仕組みづくりも含めて必要なんだなって思って聞いてました。

斎藤 藤村さん、いかがですか?

藤村 今いろいろ伺いながら数年前のことを思い出したんですけど、納谷さんがある時、ひょっこり私を訪ねてきて、納谷さん覚えてるかしら。それで、何で来たかっていうと、自分はこれからどうしようか、どういう風に、札幌でやっていこうかということだったと思うんです。芝居と両立して普通の人間として生きてくのは大変だったら、「少し別なアルバイトをしてみるとかは?」って言ったら、納谷さんが、「例えばコンビニのバイトとかですか?」って。「そういうのがあるならそれでも」って言ったら、「毛頭考えてない、考えたことない」って。バイトをしたとしても、芝居に関わる事ね、例えばどっかの演技についての講師だとか。ワークショップだとか。そういうことなら勿論やるけれど、居酒屋のなんかとか、そういうことは毛頭考えたことはない、って言ったのね。それでは生きてくのは大変だろう、生活しつつ芝居をやってくのは大変だろうなあと思いました。2、3回舞台に出てみて、いい素質があるようだから「あんたずっとこれからやりなさい」って言っても、おいそれとやっていけるものではないなぁと。その時に納谷さんの言葉を聞いて本当にこれは、相当な覚悟を持って芝居をやり続けるという人でなければ、やっていけないんだということを、しみじみと感じましたね。だから30代過ぎ、40代になったら辞めていくという人がいるのはね、私は本当に今、悲しい現実ですけど仕方がないなって思うこともあります。それでないと暮らしていけないんで、人間として生きていけないんですから。それでも納谷さん、今でも楽な生活はないと思うけど、どっかに居候してでも芝居をやってくっていう。やっぱりね、それがあるんですよね。で、そこからいかに抜け出して、少しは息つくような生活をしつつ、大好きな芝居を追求していくというようなことに、私たちはどんな役割を果たせばいいんだろうかって模索してきたのが演劇シーズンだったと思うんですけれどね。だから、本当にこのジレンマがなかなかの解消できないっていうことがあるし、まだまだ、いつになったらこれが解消できるともね、明言もできないような状況だなって。でも面白い劇団はそんな中でも何組も出てきているし。私、文化施設にいたということもあって時々思うんですけど、ああいうホールにいて思うことは、私たちは面白い作品とお客さんをつなぐ仕事だなっていつも思ってたんですね。で、その面白い作品っていうのは、どっか東京から呼んでくるとか、外国から呼んでくるとか、そういうことでなくて、地元にも是非こんなことがあるぞと、それでお客さんどうですか、これはこういうところがすごいんですよ、ということをやっぱり紹介できるのが、いくつか出てくるという状況になりたいもんだな、という風に思ってました。それが例えばね、今、オールサッポロみたいな形で、納谷さんや歩さんたちが今、クリエイティブスタジオでやろうとしている、あそこの劇場が少しそういう役割を果たそうとしてるのかなっていうふうにも思いますけれども。それは私たちもやりたかったことでしたね。まだそんなの本当にスタート、私たちこの演劇シーズンあるいは実行委員会っていうものができたことがスタートラインではあるので、よそから見ると札幌すごいっていうふうに言ってくれる人たちが、演劇関係の人、たくさんいますけれども、遅まきながらでも、そのスタートラインができたので、もっと先に持って行かなきゃいけないんだろうなって。今、お二方の劇団の方のお話を伺いながら、そんなこと改めて思っておりました。

斎藤 小島さん、いかがですか?

小島 私は本当に最近は、創作者側と両方の話をある意味聞くという立場にいて、プロジェクトに参加させていただいてから、知らなかったことがすごくいっぱい分かってきて。札幌の演劇界でみんなを食べさせていこう、という上の世代の方々がここにいることを全く知らずにただただ演劇シーズンに出させていただいていたんだなあ、と。それをやっぱりもう少し共有していったほうが良いんだなと思います。今日、この場がすごく良かったなと思っていて。私と納谷さんは、やっぱりその、随分早くからプロっていうことを意識はしていたので、演劇シーズンでいっぱいお客さんを入れさせていただくことによって、私たちは色々と続けていくこともできたんですけど、演劇シーズンに出ることによって食べていくための道が少しでもあるっていうことを、やっぱり知らない若い演劇人がやっぱり多いので、そこはなんか、もっと賢く使って欲しい。前田君とかも「僕らアマチュアなんで」って言ってるけど、本当にアマチュアで良いと思っているのか、本当はプロで演劇で食べていけたらいいんだけど、その道が分からないからアマチュアでいいやって思っているのか、っていうところが、すごくもったいないという感じがするので。その辺はやっぱりもっと札幌の先輩方がどんな形で、今ここまでシーズンを立ち上げて続けてきたかっていうのも知ってもらった方がいいと思いますし。ということで、今日のこの機会はすごく良かったなとすごく思っています。

斎藤 そろそろ時間となりました。今日は本当に、前田君たち、木製ボイジャーの皆さん、あとイレブンナインの納谷さん、ありがとうございました。貴重なお話が聞けたと思います。平田さん、メンバーからも色んな感想が出たんですけど、まとめて今どんなことをお感じですか?

平田 プロジェクトとしての集まりなので、プロジェクトサイドから言うと、まあいろいろ意見が出てるんだけど、演劇を創る道が札幌にあるのかということを模索したことで、その過程で色々変化して、今の現状があって、みんなね、今日は劇団として2劇団が出てきてくれたんだけど、ああそういう状況なんだなっていうのを改めて、うーん、どういう道があるんだろうねって思います。最初に言ったように、プロジェクトは2009年にできたんですけど、2009年にできたときは、まあ演劇人が生活できるっていうのは、ちょっとスローガンになるんだけれども、コアな制作部分は、要するに演劇の経営体が必要で、そこにクリエイターが雇用されていくっていう道を作るしか、個々の劇団が経営体を担ってゆくってのは難しいだろうっていうふうな発想で、始めた。その経営体っていうのが、演劇財団とコンカリーニョという発想で始めたわけです。まあそれから先は色々あって今日に至ってるんで。今改めてどういう道があるのかってのを、まあこういう機会に、この母体をどういうふうにしていくかってことはすごく大事なことなので、何かあったら聞かせてほしいなっていうふうに思います。

斎藤 ありがとうございます。今後もこういう話を今年度、あと1回もしくは2回、また違うタイプの劇団の人に参加してもらってお話を聞かせてもらうと思っています。今後、札幌市の人にも聞いてもらうということがあってもいいのかなとか考えてもいまして、行政の人もちょっと交えて、劇団の話を聞いてもらうっていうことも整えられたらと。もしそういう機会あったら、また前田君とか納谷さん、話聞かせてもらっていいですか?

納谷前田 はい、勿論です。

斎藤 本当にありがとうございました。では代表。最後にちょっと一言まとめていただけますか。

 こうやって、ね、演劇に直接携わる人間も、それを応援する人間も、みんなが一緒になってね、早く少し先の明るい話をね、できるといいし、とりあえずはコロナを乗り越えながら、是非またこの継続した議論ができればと、心からそう願ってます。

斎藤 ありがとうございます。じゃあこれで終わりにしたいと思うんですが、今後のそれぞれの活動にも皆さんご注目ください。では本日はどうもありがとうございました。

一同 ありがとうございました。

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